クリーチャーはいったい何処にいる?
山奥?墓場?ベッドの下?
この世はクリーチャーで溢れてますが、しかしなかなか出会う機会が無いのでは無いでしょうか?
それは当然、クリーチャーとはレアなものでないといけない。人類の遥か遠くにいるか、逆にすぐ横にいながらにして感ずかれないように息を潜めている。そうでなければ、ただの動物、現象にすぎないだろう。
今回はそんなクリーチャーの生息地について。
では始めに下の表を見て欲しい。縦が時間軸、横が文化と自然の軸になっている。普段私達が生活しているのが中心の「ココ」だ。
|
神
代 |
時
間
↓ |
古
代 |
真
理 |
裏 |
コ
コ |
外 |
魔
界 |
←文化的 |
未
来 |
自然世界→ |
予
言 |
そして、クリーチャー達はこの表の中心からずれた場所に潜んでいるのだ。
まず、時間軸を見ていこう。
資料や地層を紐解くことで私達は今より遥か昔を知ることができる。そこに存在するものの一部は、現代にはそのままの形では存在せず、われわれから見ればクリーチャーなのである。
さらに過去に遡ろうとする。しかしやがて、人類には完全に到達出来ない過去に行き当たる。生命はどうやって生まれた?人類は?世界は?
このような、世界の始まりに近い時間にもクリーチャー達はたくさんいた。そして、この世のあり方に関わってきたのである。
さて、今度は逆に統計などの資料に基づいて未来を予測してみる。そこでもやはり現代では考えられない動物、マシンがクリーチャーとして存在している。
ならば、最終的にはこの世界はどうなるのか?それはもはやシミュレーションレベルの問題でなく、一種の宗教的な予言によって示される。そういった黙示録のような場面にもクリーチャーは登場し、やはりこの世界の終わりに関わって行く。
次に横軸を見ていく。
クリーチャーというものは、どんな文明においても語られる存在だ。自然と共に暮らしていても、文明的な思想を学ぼうとしていても。
例えば人が文化を持ち、人を弔うようになったとき、「無事故人を送れた」という陽の部分と共に「弔われなかった人」や「墓場」のような陰の部分も生まれる。そして、そういったところに一部のクリーチャーは根を張る。
しかし、文化、思想を極めようとどんどん哲学していったとき、例えそこに「陰の部分」がなくても、より宇宙の真理に近いクリーチャーと遭遇することになるのだ。
では、一度人間の文明から離れて自然の中に入っていこう。するとすぐにクリーチャーと出会う。当たり前だ。自然の中の驚異こそいちばん分かりやすいクリーチャーなのだからだ。
では、もっと自然の奥に入っていったら何があるのだろうか?砂漠の果てのはて。この山の奥の奥山。もはや人づての噂しか無いだろうが、とんでもないクリーチャーがいるということがわかっている。
すぐ近くにも?
クリーチャーは雰囲気とセットである。その雰囲気とは、周りの空間とでも言い換えていい。だからこそ、クリーチャーは上の表のような特殊な空間に潜むのだ。
こうして見ると、クリーチャーは我々から遥か遠くにいるものばかりに見えるが実はそうで無い。何故ならこの表は、その規模や計るものを変えても成立するからだ。
例えば、田舎の村を計るとだと《村→里山→奥山》の順で自然の世界になるが、一日を計ると《昼→夕暮れ→夜》の順で自然の力が人間の文化を飲み込んで行く。こういった例は上げればきりがない。
そのため、クリーチャーはこの世界に溢れているのだ。
この表と各項目はまだまだ奥が深いだろうし改良も必要だろう。今後もこのブログで取り扱っていくと思う。