和一です。
「悪魔」って一体なんなのでしょうか?
黒くて尖った角と尻尾を持っている虫歯菌みたいなクリーチャーでしょうか?
でも、そういった姿の悪魔ばかりで無いことはあなたも知っているはずです。
では、悪さをするクリーチャーこそが悪魔?
いえいえ、一般的にはドラゴンやチュパカプラやボギーマンを悪魔とはあまり呼びません。
ならば、一体どんなクリーチャーが悪魔と呼ばれるのでしょうか?今回は悪魔のルーツについて考えていきましょうか。
悪魔とされるクリーチャーが存在するのは、基本的に一神教の世界です。一神教では世界の全てを説明するのに、どうしても「悪魔」の概念が必要となるのです。その理由を見ていきましょう。
一柱の神を信仰する一神教の世界において、その神は「善なる者」でなければいけません。もし神が悪ならば、人を正しい方へ導けない、つまりその教え自体が誤りであることになるからです。
さらに、神は必要に応じて人を裁く場合がありますが、神が悪ならば正しい裁きができません。犯罪者が警察や検事、裁判官をやっているようなものですから。
このため、第一に
神は善なる者なのです。
では次に、そんな善人ならぬ善神が作り上げたこの世界を見てみましょう。あんな善い神が作った世界、きっと光に満ち溢れた素晴らしい世界
…とは、どうやらなって無いようです。
世界には暴力や貧困、裏切りや自堕落などがあふれていました。それは今も昔も同じです。さらには、神自体もすさまじい天災ややり過ぎにも思える天罰を起こしていました。
善神が作った筈のこの世界は、残念ながら
悪が跋扈(ばっこ)する世界だったのです。
善なる神が作ったのに
悪がのさばる世界…これはどういうことでしょうか?
そこで考えられたのが「悪魔」というクリーチャーです。世界は神が作りましたが、そこから様々な悪が起こっていくのは悪魔の仕業なのです。
このように考えると、世界の不幸も行き過ぎた天罰も、100%が神の意思ではなく、神はあくまで善い存在と考えられます。
悪魔という考え方があるゆえに神は善なる者のままでいられ、神が善なる者であるからこそ悪魔という概念が生まれた、とも言えます。
このように神と悪魔は光と影のように対照的な存在であり、悪魔は神の対立者であり、敵対者なのです。
まとめると、悪魔は
「善なる者と敵対する宗教的な概念クリーチャー」
と、呼べるでしょうか。
しかし、話はまだ終わりません。宗教とはいずれ文化を作り、社会を作ります。それは宗教が世界観を作る物だからです。イスラム教ならイスラム社会を、キリスト教ならキリスト社会を作っていきました。
こうした一神教社会では当然、一神教の世界観によって様々な事柄を見ていきます。すると、はるか昔からあった幻獣や魔女なども悪魔と結びつけられるようになっていきました。
そして、「悪魔」という考え方がメジャーになり「幻獣」よりも現実的な存在となったとき、ついにはもともと聖書にあったリヴァイアサンとベヒーモスまでもが悪魔の一種とされ、「悪」と結びつけられました。また、フェニックスも名を変えて悪魔になっています。
このような歴史があるので、近代でもポルターガイストチックなグレムリンなども悪魔の一種とされたりもします。これは「悪魔」も含めて、クリーチャーの分類名のの定義がおぼろげだからです。
現代では、もう主要なクリーチャーの知識が世界に広まっているので何でもかんでも悪魔の仲間と考えたりはしないようです。あるいは、多くの人にとって悪魔が現実的=身近な脅威でなくなったからかも知れません。
しかし、昔の名残で今も
「悪魔っぽくない」悪魔も悪魔とされています。
「悪魔」が何者か、何となくイメージがつきました。悪魔とは一神教世界で「悪」という役割を果たす存在なんですね。
しかしそもそも、なぜ神は悪魔を作ったのでしょうか?あるいは、いきなり現れたのでしょうか?
まだ疑問は残ります。次回は悪魔はなぜ存在しているのか?について書いていきます。
\(^_^)それではさよなら(^_^)/